AC部と語る20年〜知られざる黎明期〜 |DIRECTIONS代表 長江 努対談企画 第1弾
ゲスト『AC部』#01
05Company
DIRECTIONS代表 長江 努の社長対談企画 第1弾のゲストは『AC部』ー
2000年にNHK BSで放送が始まった『デジタル・スタジアム』で出会って以来、20年の付き合いになるというAC部。これまでを振り返りながら、この3人だから語り合える話を全4回に分けてお届けします!
Profile
AC部
1999年に結成された安達 亨さんと板倉 俊介さんによるクリエイティブチーム。
多摩美術大学時代に制作した「ユーロボーイズ」がNHKデジタルスタジアム年間グランプリを受賞したのをきっかけに本格的に活動を開始。暑苦しいリアルなイラストレーションをベースにした濃厚でハイテンションな表現を持ち味とし、テレビ、CM、PV、webなど、様々な場所にインパクトのあるビジュアルを植え付ける。
2019年度より、京都造形芸術大学客員教授に就任。
AC部コミュニティサイト:http://www.ac-bu.info/
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長江 努
1964年生まれ。ディレクションズ代表。
番組プロデューサーとしてNHK『デジスタ』『ビットワールド(天才ビットくん)』『シャキーン!』などを立ち上げる。国際エミー賞グランプリ受賞の『星新一ショートショート』(2009)ではアニメ話数を全体プロデュース。その後も『イヴの時間』『こびと観察入門』から『舞台ひらがな男子』『妖怪!百鬼夜高等学校』などアニメから舞台まで幅広くプロデュース。また、共同で開発したスマホ用ガジェット『i3DG/Palm Top Theater』は2010年のアルス・エレクトロニカにて入選を果たしている。
【目次】
1.2000年『デジタル・スタジアム』での出会い
2.下手くそなものを作ることがもの凄いストレスだった
3.就職氷河期を乗り越えて就職したけど…
4.初仕事はドラマのCM
2000年『デジタル・スタジアム』での出会い
長江: 2000年、放送が始まったばかりの番組『デジタル・スタジアム』に、当時、多摩美でも教えていた中谷さん経由で作品を提供してもらったのが最初の出会いだったよね。安達くんは「ユーロボーイズ」、安藤くんは「スイスの恵み」そして板倉くんの「ストライガー」と…
※『デジスタ』…NHKで放送されていた番組『デジタル・スタジアム』の略称
※中谷さん…元NHK解説委員とし番組MCを務めていたアートディレクターの中谷日出さん。
※安藤くん…AC部結成時は安達亨さん、板倉俊介さん、安藤真さんの3人だったが、現在は安達さん、板倉さんの2名で活動中。
板倉: 「スイスの恵み」は何か、最後の出品みたいな感じで作った感じがあったよね。
『スイスの恵み』
スイスの大自然とそこに生きる人々をフレッシュに描いた15秒の作品。
「短い時間のなかで、視聴者にインパクトを与える映像づくり」をテーマに制作。
安達: そう、初の3人共作でね。
長江: 確かエントリー名義はね、安藤くんだったんだよ。
板倉: 一緒に作ってたよね?
安達: 一緒に作ったけど、監督が安藤だったかな。
長江:そういう意味では、「スイスの恵み」はAC部としての正式な初作品なんだね。ともあれ中谷さんからごそっとAC部の作品をもらって一通り観たんだけど、『デジスタ』スタッフの間ではやっぱり安達くんの「ユーロボーイズ」がいい!という話になり、初回の放送で紹介させてもらった。そしたらその回のベストセレクションになり、最終的には年間グランプリにまでなったわけだけど、あの時初めてテレビの取材を受けたりとかもあったでしょ?どうだった?
『ユーロボーイズ』
安達さんの映像作品3作目。当時入手したパラパラダンスビデオを見て衝撃を受け、衝動的に制作した作品。
安達: 番組の取材、ありましたね。そこで何かテレビのやらされ感を初めて経験した(笑)
じゃあ、歩いて来てくださいとか、コンコンってノックしたら開けて出てくださいとか。
ああ、いろいろやらされるんだなって(笑)
長江:テレビに出演している自分たちを観てどうでした?
安達: いやあ、恥ずかしかった。テレビに映ることに全然慣れてないとこんな風になっちゃうんだ。って、ただただ恥ずかしいという感じでしたね。
下手くそなものを作ることがもの凄いストレスだった
『ストライガー』
板倉さんが卒業制作として制作した気合いの1本。
キャラの顔の歪みや予測不能なストーリー展開など、タブーをことごとく打ち破った問題作。
長江: 安達くんとはそんな感じだったけど、問題だったのが板倉くんです(笑)
板倉くんが「ストライガー」を出すのを渋っているという情報をディレクターから聞いて、板倉くんを説得するために出先から携帯で結構な長電話をしたことがあったんだけど覚えてる?
板倉: 覚えてますね。あと、中谷さんとも話してましたね。
長江: 恩師でもある中谷さんにも説得工作をしてもらったんだよね(笑)
あの時は何であんなに作品を出すことを渋っていたの?
板倉: 結構深い話なんですけど、多摩美に入るのに絵を描くための基礎的な力をつけて入っているのに、それで下手くそなものを作るっていうことがもの凄い何か自傷行為に近い感覚があったんです。それで、何で下手くそなものを作っていたかっていうと、顔を出さなくていいからやってたんですよ。それを作品として受け入れてくれてたとしても、これと自分は別だぞ、っていう意識がもの凄く強くて。何かそれをいきなり飛び越えられて来る感じがもう、もの凄いストレスだったんですよ。
板倉: 今は解消出来てるんですけど、僕はそこのギャップみたいなやつを解消するのにたぶん10年以上はかかってるんですよ。だから、もの凄いセンシティブな時期にいきなりメディアに出るっていうことで、そこのストレスが強かったって感じですね。
長江: 単に「ヘタウマでいいじゃん」とは間違っても言いきれない。
板倉: 言いきれない。ヘタウマではないと思ってたんですね。リアルに下手っていうか。
長江: そういう表現だったしね。
板倉: だから身を削ってる感じっていうのが本当に辛いし、でもそれを世に出した時の反響も凄いしっていうので、自分と一緒にされるのが凄い嫌だったっていうことですかね。
長江: AC部の作品としてちょっと距離を置いてくれるといいんだけど、ってことかな?
板倉: うん、そうですね。
長江: 実はすでにAC部として裏で3人が手を動かしてたけど、当時の番組では個人名義で紹介することにしてたからね。
板倉: うん。そこはそれですね、ほんとに。
長江: 当時、長電話で説得した時にはそこまで作品を出したくない理由を聞けた気がしてなかったけど、ようやく今ちゃんと理解できた(笑)
板倉: しかも、当時はこういう説明ができてなかったと思うんですよ。
長江: 今だからこうして客観的に振り返れるし、そう説明できるのかもしれないね。
板倉: そうですね、当時はわかって無かったと思います。すいません、説明出来てなくて(笑)
長江: いえいえ(笑)安達くんも板倉くんのように下手くそな作風にすることによって何か自傷行為に近い感覚というのはあった?
安達: そこは自傷行為ではないですけど、ボクはもともと切り離して考えていて、作品は作品。どっちにしろ、あんまり自分たちは前に出てない感じでやってたっていう。芸祭とかで展示してても、自分達はそこにいないんで、もうずっとループで映像だけ流しといて、陰で見てるような感じでやって、距離を置いてました。
板倉: 『デジスタ』で選ばれてメディアに出て行くっていうことに関しても抵抗はなかったの?
安達: あれは、しょうがないというか、やってみようっていうか。やったことないから分かんない、とりあえずやりますという。
長江: とても2人の性格が出ているエピソードだと思うし、それは今も変わらないしね、ある意味、根幹の部分でね。板倉くんは今でも作品と自分が繋がってるみたいな部分があるんだよね?
板倉: そうですね。だから今の自分の捉え方としては、AC部と作品が繋がっているって考えていて、そのAC部の裏に自分と亨(安達)がいるっていう考え方ですね。だから、ボクはAC部としての仕事をやってるっていう。たぶんボク自身のパーソナリティーで言うと、またちょっと変わってくるのかなとは思いますけど。
就職氷河期を乗り越えて就職したけど…
長江: 出会った頃はAC部3人とも、まだ人生の進路みたいなものをそれぞれ考えていただろうし、現に卒業してからの就職先もそれぞれ違うわけじゃないですか。 板倉くんは大学を卒業してからどこに就職したんだっけ?
板倉: ボクは「アーマード・コア」のソフトを作っている会社に入ったんです。
長江: そうか、一回ゲーム会社に入ってるんだ。 しかもAC部の名前の由来にもなったゲームの会社に(笑)
※AC部の “AC” はプレイステーションの対戦型アクションゲーム「アーマード・コア」が由来。
板倉: はい。
長江: で、安藤くんもゲーム会社へ入った。だけど、安達くんは…
安達: ボクはそう、入れなかったんです。就活全滅して。
長江: もしかしてゲーム会社も受けたの?
安達: いやあ、受けてます。ゲーム会社は。ちょうど就職氷河期だったけど2人は一応ちゃんと就活していて。ボクはちょっとこう、何か就活があんま好きじゃないから、もう素で行こうと思って、「こういうの作ってます」って素で行ったら駄目だった。
長江: いや、今だからこそ言えるけど、やっぱり当時はAC部3人ともかなり挙動不審だったしね(笑)
安達・板倉: そうですね(笑)
長江: ボク自身、個人でアニメ作る若い人たちと接するのが初めてだったし、しかも初っぱながAC部だったんで、かなり強烈だった(笑)最初はどう話していいか分かんなかったし。2000年のデジスタアウォード収録を終えてNHKのデジスタ事務局に戻る道すがら安達くんと話をしながら、今ちょっと話が通じたかもって思った瞬間があって、ようやくちょっと距離が測れた気がしたのを今でも覚えてる(笑)
安達: いやあ、あの当時はひどい人間でしたから。
長江: ひどい人間って(笑)
安達: 人間としてなってない。
板倉: 大人と話すのが怖いっていう感覚でしたからね。
長江: (笑)それで話は戻るけど、板倉くんは何カ月で会社を辞めたの?
板倉: ボクは、3カ月で辞めました。
長江: (笑)辞めた理由は何だったの?
板倉: AC部に仕事が入ったんです。それで雇用形態を社員からアルバイトに切り替えて、これからはAC部の仕事を受注して行こうと思って。
長江: なるほど、判断が早かったんだね。で、安達くんは卒業してからどこに就職したの?
安達: 3月に卒業して、4月に求人誌で探して普通に応募して、小さい広告のデザイン会社に入りました。
長江: その広告のデザイン会社にはどのくらいいたの?
安達: 半年です。そこは半年で会社が潰れて。その後、テレビのグラフィックを専門にやっているかなりマニアックな会社が求人を出していて、そこに入った感じですね。
長江:Dレンジ!時代はズレてるけど、ボクが大卒で就職した制作会社からの発注先だったという偶然(笑)
※社長は1986年に大卒でIVSテレビ制作という制作会社に就職し、『天才たけしの元気が出るテレビ』のADとしてキャリアをスタート。当時バラエティー番組では珍しかったアニメの発注を一手に引き受けていたのが『Dレンジ』という会社だったそうです。
初仕事はドラマのCM
長江: AC部としての最初の仕事というのは何だったの?
板倉: 最初は、日テレの『フードファイト』っていうドラマのCMです。
『フードファイト』CMシリーズ
今までにないTVドラマの番宣をつくるという主旨で、ひと味違ったシュールなCMを展開。
ラーメン対決編、かき氷対決編、回転寿司編の3話分をAC部が担当。
今までの技術やアイデアを結集し、AC部テイスト全開で視聴者に迫るハイテンションCM。
長江: それはどういう経緯でオファーが来たの?
板倉: 多摩美の時に教授で中島信也さんがいて、卒業制作のビデオを代理店とかにばら撒いてもらっていて。
※中島信也さん…CMディレクターで株式会社東北新社取締役副社長。『デジタル・スタジアム』でも番組スタート当時よりキュレーターを務めていた。
安達: それが東北新社のプロデューサーの目に留まって、石井克人さんが監督をしていた日本テレビのドラマ『フードファイト』の番宣CMシリーズの仕事をやることになったんです。
※石井克人さん…映画監督、アニメ監督、CMディレクター。代表作に『鮫肌男と桃尻女』、『PARTY7』、『茶の味』、『スマグラー』など。
板倉: その後に箭内さんからデイリーヤマザキのCM頂いたときに、箭内さんがドラマ『フードファイト』の仕事を先にやっていたことをすごい悔しがっていて、「一番最初にやりたかった」って言われて、それはちょっとうれしかったです。
※箭内さん…クリエイティブディレクターの箭内道彦さん。箭内さんもデジスタでキュレーターを務めた。現在も弊社制作の『福島をずっと見ているテレビ』に出演中。
『デイリーヤマザキ チャレンジ2001キャンペーン』
デイリーヤマザキのキャンペーンとして放映されたCMで、
AC部らしさを全面に出すことを求められて制作した、キャラの歪み度MAXな作品。
長江: 当時、広告業界ではAC部はすごく先鋭的な映像を作るユニットとして注目され始めていたよね。とはいえ、デビューした2000年にそんな発注もらってたって凄い!
安達: そうですね、何か急に来たから「このチャンスをものにせねば!」みたいな、ワクワクしてた感じでしたね。
長江: いきなりドラマのCMだもんね。さらにそこに大企業のCMの仕事も受注して。
安達: 学生時代は全く無かったから、「ついに来たか!」って。
板倉: 日テレのドラマ『フードファイト』も、デイリーヤマザキのCMも両方「広告批評」や「ブレーン」とかに取り上げられて、ちゃんと記事にしてもらっていたので、何かすごい入り込んだ感っていうのはありましたね。
長江: 板倉くんのこだわってた部分がちゃんと広告・クリエイティブの雑誌で評価されたということだね。
板倉: そうですね。そういうので安心感を得たっていう。
長江: 就職して早々にAC部として大きな仕事にありつけて、評価されてってところが結局、今につながってる気もするよね。 そうじゃなかったら、2人の世界観をブレずに突き進もうとは思わなかったんじゃない?どこかで何かに迎合してとか。
安達: そう、その間に何かうまいこと、本当にありがたいことに定期的に仕事頂けてたっていうのが結構大きくて。仕事もらってそれをやることで何か、だんだん「AC部とは」みたいな感じが形成されてきた。
長江: 当時から2人はポジションチェンジしながら作ってたの?どっちがどっち担当とか。
安達: 探り探りですね。最初は結構そこも壁というか、試行錯誤しながらやっていて。それぞれ作品作って、いざ一緒にやるってどういう風にやるんだろう?という感じで、何かどうやってそこを切り替えてたのかもう今となってはちょっと覚えてないけど。なんとかやるしかないって言ってやってたかな。テンパりながら。
長江: この作業は全部板倉くんがやって、あっちを安達くんがやって、という分業ではなく、ポジションチェンジしながら同じような作業をやるAC部のスタイルは、とても稀有なパターンだと思うんだよね。それもデジタルだから出来たっていうところもあるだろうし。
安達: そうですね。学生時代何か全部自分たちだけで作っちゃおうっていう意識があったから、それも役立ってるのかもしれないですね。
板倉: あと、ボク個人としても、やっぱり自分の名前を出したくないっていう気持ちがあって、自分が全部をやるっていう感覚にはなっていなかったですね。
長江: そうやってお互いのスタイルや利害が一致してなかったら、また全然違う方向に行ってたってかも知れないよね。そういう意味でもいろいろ機会にも恵まれている、何か奇跡のようなコンビだね。
1. 映像作家がほぼむき出しで出ちゃった!!前代未聞の『みんなのうた』
2. 今でも心に響いている高畑 勲監督の一言
3. 子ども番組に15年関わり続けて
4. 『星新一ショートショート』×デジスタのアニメーターたちの偉業
写真・テキスト:木塚 幸代(DIRECTIONS)